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ホテルニュージャパン火災 社長 [事件]

奇跡体験!アンビリーバボーで  実録!国内大災害SPとして、ホテルニュージャパン火災が放映されました ホテルニュージャパンの社長 横井英樹とはどのような人物だったのでしょう


貧しい農家に二男として生まれた。父親はアルコール依存症で、

母親に暴力を振るい、村の嫌われ者だった。


高等小学校卒業後、11歳の時に上京、英樹に改名。東京日本橋の繊維問屋へ丁稚奉公。

約6年で独立し、17歳で「横井商店」を設立。その後召集され、憲兵軍曹に昇進。



第二次世界大戦終結後、GHQ出入りの商人となり、進駐軍への衣料品の販売や横田基地、立川基地の

家族住宅の設営で一財産を築いた。


乗っ取り屋として数々の企業買収を行い、その中でもひときわ有名なのが「白木屋乗っ取り事件」

ヤクザ・愚連隊・政界・財界を巻き込んでの乗っ取り騒動を引き起こした。


その後、目立って判明しているだけでも5件の企業乗っ取りを行い、買い占めた株を経営陣に高額で引

き取らせたり自らが経営者に就任し役員をすべて肉親で固めるなどしていた。


その傍ら1957年に東洋郵船を創業、グループの総帥として大陸からの引き揚げ船だった興安丸を購入してクルーズ事業に乗り出した。

また、ボウリング場やショッピングセンターの経営にも乗り出し、乗っ取り屋という「虚業」とは別の「実業」にも進出していった。


ホテルニュージャパンも買収した一社であったが、1982年2月8日にホテルニュージャパン火災が発生、全焼した。


33人の死者を出した。彼は行きすぎた合理化を画策し、徹底的なまでに建設費用を節減するため、
スプリンクラー設備等の消火設備を整備せず、内装も耐火素材にしていなかった。
(この火災が起きた翌朝に日本航空350便墜落事故が発生しています。消防やマスコミは対応が大変だったでしょうね)


こうした数々の違法運営により1987年、東京地裁で業務上過失致死傷罪で禁錮3年の実刑判決を受け、
1993年に最高裁で確定した。


火災から11年も後のことです


1994年から八王子医療刑務所で服役したが、1996年に仮釈放となり、1997年には刑期を終えている。


33名もの死者を出しながらも、たった禁錮3年の判決だったんですね


なんと!1991年には、秘密裡にニューヨークのエンパイアステートビルを買収をしていたそうです。

蝶ネクタイ姿が有名ですが、「時は金なり、結ぶ手間がもったいない」という理由で愛用していたようです。

経歴や交友関係、言動などから傲慢な印象を持たれがちではあったが、素顔は奉公人から叩き上げて身

を起こした人間らしい腰の低さで、服役中も他の囚人に対しても丁重に接していたそうです。




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