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旭化成 倒産 可能性 [事件]

日本有数の上場企業・旭化成の子会社、
旭化成建材が起こしたマンションデータの改ざん。

旭化成ブランドへの不信感は拡大しており、
記者会見ではずさんなデータ管理の実態について質問が相次いだ。

「今までの信頼に感謝し、今回のことを深く深く反省している」。
旭化成の浅野敏雄社長は悔し涙を浮かべた。


今回の事件で旭化成倒産可能性はあるのでしょうか?

今回の傾斜マンションで

旭化成=不動産建設事業
のイメージが大きくなっていますが

旭化成グループは住宅建材以外にも
ケミカル繊維、エレクトロニクス、ヘルスケアなど
様々な部門で事業を展開しています。


どこのスーパーでも見かける「サランラップ」も旭化成ホーム プロダクツの製品です。

今回の傾斜マンションの件で損害賠償額が何百億円になった場合に
旭化成建材は大きなダメージを受けるますが

グループ会社の規模が非常に大きいので
旭化成自体が倒産に至る可能性は少ないと思います。


横浜市都筑区の傾斜マンション 「パークシティLALA横浜」問題に関し、
旭化成建材親会社である旭化成の浅野敏雄社長が、東京都内で記者会見し
「居住者の皆さまに大変なご迷惑をお掛けした。深く反省し、おわび申し上げる」と謝罪しまた。


旭化成は子会社の旭化成建材が実施したくい打ちで、
施工データの転用などが起きた原因を究明するため、
弁護士らをメンバーとする外部調査委員会を設置するそうです。


旭化成側は会見で、旭化成建材が過去約10年間にくい打ちを請け負った
全国約3千棟に関する都道府県ごとの内訳などを、22日に公表すると明らかにした。


705戸の住民にとっては、数年は人生の中でも忘れ得ぬ「事件」になるはずです。
とんでもない大事件と思う方もいれば、「面白いことに巻き込まれた」と笑って済ます人もいるはずですね。



でもこれって一体誰の責任なのでしょう

事件が明らかになった時系列

13日夜、日経新聞で最初の報道。
14日夜、旭化成建材の施工を同じく日経が報道。
15日、三井不動産レジデンシャルが「全棟建替え方針」と表明。
16日、旭化成が3000棟を調査する方針の発表。
同日、施工を担当したのは一人の責任者と旭化成社長が発言。
また、「二番目の不正」も明らかに。
20日、旭化成の浅野敏雄社長が謝罪会見


もし、明日震度7の地震が起こってマンションが倒壊。
死亡者やけが人が出た場合誰に責任追及が及ぶのでしょうか。

当たり前ですけど、売主である三井不動産レジデンシャルですよね。
三井不動産レジデンシャルは「全棟建替え方針」を表明はしましたが
謝罪会見はしていない気がするのですが。


三井不動産レジデンシャルは不法行為の責任を取らなければいけません。


三井不動産レジデンシャルが、工事を請け負わせた三井住友建設や
その下請けの日立ハイテクノロジー、さらに孫請けの旭化成建材に
どういう賠償責任を問おうと、それはマンション住民のには関係ありません。
マンション住民に対する責任はすべて三井不動産レジデンシャルにあります。

「説明、のらりくらりが一変」

事実、三井不動産レジデンシャルは初めての住民説明会を開いた9日には、修繕工事で対応すると言っていたのに、
6日後の15日には大きく方針転換し、全4棟の建て替えに言及した。あまりにもの急展開に、住民も戸惑っているようです。

「方針提示が唐突で極端。企業の危機管理として急ぐ事情は分かるが、もう少し話のもっていき方があったのではないか」

この事件が報道された14日を境に、三井不動産レジデンシャル側の説明や対応が変わったとみられています。
報道以前の説明会では「検討する」などのあいまいな説明が多く、「(杭の)是正工事をすれば賠償の対象にはならない」とものたまったそうです。
ところが報道後、建て替え▽工事、精神的負担への補償▽仮住まいの費用負担−−などが「基本方針」として発表されました。

住民は、三井側の提案を評価する一方で「賠償や補償の基準や目安も示されず、対応も個別と言われた。
引っ越しになるとこまごました経費がたくさんかかってくるが、『これは該当しない』などと拒まれてしまうのではないか」と不安を感じています。

この住民は10日の説明会から出席したそうですが、担当者の説明はのらりくらりといった調子だったとの印象のようです。
それが報道直後に一変!
「何にせよ負担は必ず強いられる。誠心誠意対応すると言っているが、
本当にその通りにやってもらわないと困る」と提案を信じ切れない様子だった。

不正工事を施工した旭化成建材は当然ですが、
事業主である三井不動産レジデンスも誠意ある対応をして欲しいものです。



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ホテルニュージャパン火災 社長 [事件]

奇跡体験!アンビリーバボーで  実録!国内大災害SPとして、ホテルニュージャパン火災が放映されました ホテルニュージャパンの社長 横井英樹とはどのような人物だったのでしょう


貧しい農家に二男として生まれた。父親はアルコール依存症で、

母親に暴力を振るい、村の嫌われ者だった。


高等小学校卒業後、11歳の時に上京、英樹に改名。東京日本橋の繊維問屋へ丁稚奉公。

約6年で独立し、17歳で「横井商店」を設立。その後召集され、憲兵軍曹に昇進。



第二次世界大戦終結後、GHQ出入りの商人となり、進駐軍への衣料品の販売や横田基地、立川基地の

家族住宅の設営で一財産を築いた。


乗っ取り屋として数々の企業買収を行い、その中でもひときわ有名なのが「白木屋乗っ取り事件」

ヤクザ・愚連隊・政界・財界を巻き込んでの乗っ取り騒動を引き起こした。


その後、目立って判明しているだけでも5件の企業乗っ取りを行い、買い占めた株を経営陣に高額で引

き取らせたり自らが経営者に就任し役員をすべて肉親で固めるなどしていた。


その傍ら1957年に東洋郵船を創業、グループの総帥として大陸からの引き揚げ船だった興安丸を購入してクルーズ事業に乗り出した。

また、ボウリング場やショッピングセンターの経営にも乗り出し、乗っ取り屋という「虚業」とは別の「実業」にも進出していった。


ホテルニュージャパンも買収した一社であったが、1982年2月8日にホテルニュージャパン火災が発生、全焼した。


33人の死者を出した。彼は行きすぎた合理化を画策し、徹底的なまでに建設費用を節減するため、
スプリンクラー設備等の消火設備を整備せず、内装も耐火素材にしていなかった。
(この火災が起きた翌朝に日本航空350便墜落事故が発生しています。消防やマスコミは対応が大変だったでしょうね)


こうした数々の違法運営により1987年、東京地裁で業務上過失致死傷罪で禁錮3年の実刑判決を受け、
1993年に最高裁で確定した。


火災から11年も後のことです


1994年から八王子医療刑務所で服役したが、1996年に仮釈放となり、1997年には刑期を終えている。


33名もの死者を出しながらも、たった禁錮3年の判決だったんですね


なんと!1991年には、秘密裡にニューヨークのエンパイアステートビルを買収をしていたそうです。

蝶ネクタイ姿が有名ですが、「時は金なり、結ぶ手間がもったいない」という理由で愛用していたようです。

経歴や交友関係、言動などから傲慢な印象を持たれがちではあったが、素顔は奉公人から叩き上げて身

を起こした人間らしい腰の低さで、服役中も他の囚人に対しても丁重に接していたそうです。




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